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『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』(マイケル・サンデル著、早川書房)読了

マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』を読みました。

初版は2010年5月(原著は2009年)。

10年前に大流行した本です。

 

今さら?と言われるかもしれませんが

図書館で借りて、今さら読みました。

 

※上記リンクは文庫版です。

 

なぜ今さら、この本を読もうかと思ったか。

 

最近、Yahoo!ニュースを仕事の合間に

よく見るのですが

コメント欄の酷さに辟易していました。

 

でも、このコメント欄で

何かを主張しようとする人がいて

それに対して、激しい言葉で批判する人もいて。

 

とても「論争」と呼べるものじゃないけど

時々、キラリと光るコメントがあったり。

 

恐らく、みんな自分なりの「正義」をもって

ヤフコメを書いてるんだなぁ

などと思って、ふと

この本をちゃんと読んでなかったことを

思い出したわけです。

 

いやー久々に読み応えのある本でした。

それぞれの章で考えさせられます。

 

個人的にとても面白いと思ったのは

第4章「雇われ助っ人——市場と倫理」と

第6章「平等をめぐる議論――ジョン・ロールズ

でした。

 

私自身はリバタリアニズムに近い、すなわち

個人の自由を尊重する考えを持っているのですが

この二つの章ではすごく頭を悩ませました。

 

もしかしたらビル・ゲイツになれるかもしれない。でもホームレスになる可能性もある。ならば底辺層を切り捨てるシステムは避けた方が無難だ

(p.185)

 

まさにこの考え方が自分です。

はっとしました。

 

そして、最後に出てきたこの文章。

 

この数十年でわれわれは、同胞の道徳的・宗教的信念を尊重するということは、(少なくとも政治的目的に関係する場合)それらを無視し、それらを邪魔せず、それらに——可能なかぎり——かかわらずに公共の生を営むことだと思い込むようになった。だが、そうした回避の姿勢からは、偽りの敬意が生まれかねない。偽りの敬意は、現実には道徳的不一致の回避ではなく抑制を意味することが少なくない。そこから反発と反感が生じかねないし、公共の言説の貧困化を招くおそれもある。言説の貧困化とは、一つのニュースから次のニュースへと渡り歩きながら、スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄にもっぱら気を取られるようになることだ。

(p.344)

 

まさにヤフコメ。

10年前に、この状況を予測していたのか、と

衝撃を受けました。笑

 

グローバリズムの終焉が見え隠れする今日この頃。

 

多元的社会の市民の間は

道徳的不一致であることは仕方がない。

しかし、そこに公が政治的に関与することと

私たち市民が全体の利益を目指し

お互いの運命を分かち合う、

そんな公正な社会に向けて討議していくことで

希望を見出すことができるわけですね。

 

他者を理解し、受け入れたつもりでいても

結局は自分の主観でしかない、と。

それならば、他者とは相容れないという

前提に立って話し合った方が

より良い環境を作り出せるということかと。

 

ちょっと古い本ですが

知恵と勇気を授けてくれました。

 

とても面白かったです。